第3章 私の「年の差」結婚[2]

@筆者:五味洋治プロフィール [ 2011年 7月 12日 ]

80后(パーリンホウ)

中国人と言っても世代によって随分考えかたが違う。1980年以降に生まれた中国の若者たちは80后「パーリンホウ」と一括して呼ばれる。
この年代の若者にどんな共通点があるか知ることは、生活を共にする事になった場合、役に立つはずである。
彼ら、彼女らはネット上などではこんなたとえ話で表現されている。

70年后(生まれ)は、基本的に仕事中毒、80后は、あまり超過勤務をしたくない、90后は超過勤務絶対拒否。

70后は、アメリカや日本が中国に攻めてくると思っている。80后は、日本の連続ドラマが好きで、台湾の歌をよく聴く。90后は、日本に行ってしまう。

70后は貯金をしっかりもっている。80后は借金がある。90后は「パパがいるから大丈夫」

80后は、自由なものの考え方に慣れて来た世代で、共産党への忠誠心や、母国への愛国心もそれほど強烈ではないーといったイメージがわいてくる。
妻が中国から買ってきた漫画本に「80后小夫婦」という4コマ漫画があった。読むと、パソコンが生活の中心になっており、買い物のシーンがたくさん出てくる。
最近、80后が中国社会で注目を浴びており、各界にスターが生まれている。80后は「小皇帝」でもある。これは中国の最近の若者を批判する時に使われる単語だ。小さい時から一人っ子で育ってきたので、親の愛を独占している。親は文化大革命の世代なので、何でもほしい物を買って与えてきた。この世代がこれから30代となって社会の中核を担って行く。

↑目次へもどる

未来を語る

日本で暮らしはじめ、戸惑ったことは彼女は将来を語りたがることだった。
20年後、30年後はこういう生活をして、こんな毎日を送ろう。宝くじを買って3億円入ったらどうする。北京に大きな別荘を買おうー最初は、彼女の話が空疎な絵空事に思えてしかたなかった。「?老??做老?人」(地に足がついたことをいえよ)などとたしなめたものだ。
まてよ。問題は私のほうじゃないだろうか。中年から初老になって私は先のことを考えなくなっていた。仕事中心で、自分の生活は二の次。そういう生活に慣れきって、夢を語ることを忘れていた。もちろん私に残された時間は多くはないが、順調にいけばあと30年はある。間違いなく折り返し地点は過ぎただろうが、もっと大きな世界を考えてもいいじゃないか。
それからは、新しい家を買うとか、まだ生まれてもいないが、子供が大きく成長した時のことなど、一緒に未来を語るように心がけている。子供だって楽しみながら育ててみたいと思っている。私も成長させてもらったのかもしれない。
年齢の違いといえば、名古屋に住む保険会社代理店の高橋明さんは55歳で、30歳年下の中国人女性と再婚した。この年齢差は、国際結婚をテーマとするネット上の掲示板でも知られるところとなり、賛否両論を引き起こした。
高橋さんは家も持っているし事業も順調だ。離婚して1人暮らしだったが、男としての自分を試したい気持ちもあって、結婚相談の業者を訪ねた。国内では相手が見つからない。中国に行って現地でお見合いを重ね、ようやく相手を見つけた。話を聞いた時は結婚生活は4カ月。お互いの言葉がほとんど分からず、話が通じない。
これからうまく行くのだろうか。自信家の高橋さんも気持ちが揺らいでいた。たまたま車に乗って雨上がりにふたりで出かけた。はじゃぐ奥さんは、道のあちこちにできている水たまりを勢いよく踏み、高橋さんに水をかけて遊んだ。
高橋さんには前の結婚で、ふたりの子供がいる。すでに成人している。そういえば、もう20年も前のこと、子供がこんな風に遊ぶのをたしなめた経験があった。
「なんて言うのかな、こんな子供っぽいことをしていていいのかって気持ちがある反面、自分がどんどん素直になっていく気もする」と打ち明けた。
本当は、日本に来るまでビザの申請などに必要な数ヶ月を使って日本語をを学んでくるべきだと思う。しかし高橋さんは、言葉が通じなくても気持ちを育むことはできるのではないか、年齢が違うことで気がつくことが多いと思い始めている。

↑目次へもどる

愛情表現

私の家庭に戻ろう。
妻から愛情表現を求められることにも戸惑った。「毎日1回愛していると言ってほしい」とか「ふたりの記念日には、贈り物を贈ってほしい」と言われ、困ってしまった。私はもういい中年男である。
愛とか恋なんて日本昔話のような気がする。昔々、その昔、恋愛がありました、なんて感じだ。
しかし、妻は満足できないようだ。
考えてみると、相手に対する好意を積極的に表現することは、人間関係もスムーズにしてくれるのは当然のことだろう。出来る限り、時にはオーバーなくらい、気持ちを言葉に表すことにしている。
ある時家でカレーライスを食べながら、「夫婦と聞いてどんな言葉を思い出すか」と聞いてみた。中国の故事成語は、われわれ日本人にもなじみやすい。
彼女が書いたのは「風雨同舟」の四文字。なんとなく分かる。呉越同舟じゃないんだね。
この言葉の出典は私にはよく分からないが、最近よく使われるらしく、2009年に行われた米中経済対話と呼ばれる米中の重要な会合の中で、米国のガイトナー財務長官がこの言葉を引用して、注目を浴びた。
利害を共にする人間同士、協力しましょうということらしい。
夫婦を利害関係に見るのは、すこし納得がいかないのだけれども、そういう感覚を持っているのだろう。
「風雨」という単語は、中国の流行歌にもたくさんでてくる。雨打風吹と書くと「人生、波風がいろいろあった」との感じが伝わる。われわれの前にはどんな天気が待っていることか?

↑目次へもどる

家族の距離

私の実家がある長野県に帰省した時のこと。予想より渋滞はなく、3時間ほどで到着した。一面に青緑の田んぼが広がっていて、気分がいい。新鮮な空気が一斉にこちらに向かってくるような感じがする。
ところで、妻はいつも私の親族が、私の帰省に「冷淡だ」と言う。「私が中国に帰れば、おじさん、おばさんを含めみんなが私を出迎えてくれる。毎日外でごちそうしてくれて、いやになるくらいだ」。
いやになるといいつつ、自慢している風がある。大家族の中国ならではだろう。
一方の私の方は、田舎のあちこちに住むおじさん、おばさんに帰省することをわざわざ伝えることはない。たまたま、出会えば話をするけれども、それだけだ。向こうだって家族がいるし、お盆の時期はみんな忙しいはずだ。
しかし妻は理解できないらしい。妻の場合、日本にいて滅多に会えない。だから歓待するのかもしれない。
確かに中国の人たちは大家族に慣れているというのか、久しぶりに会った親族を大切にするところがある。学校の友人もそうだ。私の妻が帰国すれば、会社を休んででも彼女と食事し、ショッピングにつきあう。どうやら当たり前の対応のようである。たとえば正月になると、妻の携帯は朝から鳴りっぱなし。ちょくせつ「新年快楽(新年おめでとう)」というのが普通のことなのだ。
逆に私の両親の親族だけが特に冷たいのかもしれないが、日本人はそんなに親戚、友人付き合いが活発ではないと思う。最近私は、妻の影響で、あらためてこういう親族間の付き合いが大切だと思うようになってきた。

↑目次へもどる

丁克(ディンク)族

ただ、子供に対する考え方は簡単ではない。
中国でも女性の初婚年齢が上がり、結婚前に同棲するカップルや子どもを望まない夫婦(DINKS)も現れている。もともと、ダブルインカム、ノーキッズ(共働きで子供なし)を意味する英語の頭文字を示したものだ。以前は無孩(子どものいない)貴族などと言われたが、最近では中国語でも「丁克(ディンクス)」と音をそのまま取り入れた漢字新語がひろく使われている。
6、70年代に生まれ、学歴が比較的高い。家で食事することは少ないなどと規定されている。「子供がいるとふたりの生活をじゃまされるから」と話す人もいるが、子供がいると会社や組織の中で昇進が難しくなったり、退職に追い込まれるケースがあるため、しかたなく産まない選択をした人が多いと思われる。かつて孟子は「不孝には三つあるが、妻を娶らず後継ぎがなく祖先の祭祠を絶やすことが一番悪い」と言ったとされるが、これも現代には通用しなくなっている。
80、90年代に一人っ子として生まれた子供たちは、今後どういう選択をするだろうか。私の妻も「小さいときから一人っ子だったので、子供を産むのは怖い」と漏らす。出産することへの恐怖もあるが、父親の愛情を子供に奪われるかもしれないとも言う。自分より小さい兄弟姉妹がいれば、こういう過程は小さい時に経験するはずだが、この「愛情独占欲」は、やはり一人っ子の弊害の部分だろうか。
最近では、丁克では寂しいのか、丁寵家庭も登場した。夫婦共働きで子供なし、ペット(寵物)を飼い、ペットに愛情を注ぐ家庭を意味するそうだ。


↑目次へもどる

初めての国際結婚で相談!
これだけは気をつけよう!悪徳業者の見抜き方
国際結婚を失敗しないために国際結婚を失敗しないために
特定非営利活動法人(NPO法人) 国際結婚協会
お気に入りに登録
国際結婚協会では
CO2削減に貢献しています
チーム・マイナス6%
岡村国際法務事務所

↑ページトップへ