第2章 花嫁はどうして来るのか[3]

@筆者:五味洋治プロフィール [ 2011年 6月 7日 ]

福建省

かつて日本に嫁ぐ女性の多くは、上海や北京など大都会の人だった。その後、徐々に地方にシフトしていく。地域別の特徴を見ることにしよう。
まず、蛇頭で知られた南部・福建省も大きな花嫁供給地だった。この地方の人は、独自の経済感覚を持っているとされる。周囲にも外国に行って生活している人が多く、外国行くことを苦にしない。結束が非常に強いが、簡単に仲間割れするなどと言われている。
たまたま親しい友人が、ビジネスマンとして福建省の中都市、福清市に住んでいる。彼が言うには、福清に住む人の多くは基本的に人を動かして商売をしている。人材ビジネスである。留学、密航、もちろん国際結婚もその1つ。
留学では1人につき10万元(約140万円)ぐらいの手数料が動く。結婚は50万元と約5倍かかる。人材商売に成功して、アンダーグラウンドで人を動かし、日本円にして2000万円以上を持つ人も少なくない。
歓楽街も発達していて、福清市内には3万人ぐらいのカラオケ女性がいると言われる。現地に住む、すこし金持ちの男性は、自分の彼女を作るのに努力しているという話をよく聞く。
先日、前出の友人が、福建省の女性と結婚を希望する別の日本人のために、あちこち探して回った。現地の結婚紹介業者は「中国人にもお金持ちが増えている。日本人でお金持ちだったり、容姿がよければ別だが、誰が中国在住を希望する(収入の少ない)日本人男性と結婚したいと思いますか。10数年前と状況が変わってきている」とすげなく断られたという。
中国の女性もよほどの田舎の人でないかぎり、通常の結婚同様、例え日本人であっても、よくその条件を見た上で決める傾向にある。福建女性が日本に嫁ぐケースはかなり減っているようだ。
福建省ではアメリカへの出国、移民がブームで50万元が必要だが、申し込む人が後を絶たない。中国の女性はアメリカに行けば、「空を見ていても結婚相手が決まる」と言われている。
その意味は米国内には中国人未婚男性が多く、不法就労で財をなし料理店を経営をしている人がおり、同国の中国人女性はとても歓迎されるのだ。
不法滞在をしても、裁判の結果によってはグリーンカード(永住権)取得の可能性があるアメリカに憧れるのだという。

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国境都市・丹東

遼寧省の中都市・丹東市も花嫁供給地である。遼寧省の南東部に位置し、3区、2市、1県を管轄する。総人口は約243万人・市街地の人口約80万人だから中国では中都市だ。ネット上で調べると数社が事務所を構え、日本への結婚紹介を営んでいる。年間30人ほどが日本に嫁ぐ。
この街が有名なのは、鴨緑江をはさんで北朝鮮の新義州市と国境を接しているためだ。ニュースに出てくる時は、たいてい北朝鮮関連だ。
対岸の川岸には田んぼや倉庫ぐらいしか見えないが、最も簡単に北朝鮮を観察できるので、何か起きるとマスコミは丹東に殺到する。
私もこの街には少なくとも6回は足を運んだ。最近東北地方の大都市、大連と高速道路で結ばれたため、経済発展が著しい。高いビル、高級ホテルもお目見えしている。
丹東市によると、同市への外国人観光客は約8万人で半分は韓国人。
丹東は、戦前「安東」と呼ばれ、日本人も多く住んでいた。丹東駅前には日本人が住んでいた煉瓦づくりの古い町並みが残っているが、どんどん撤去されている。旧安東をしのんで訪れる日本人は年間1万人になる。日本に親しみを持つ現地の人も少なくない。市内には日本人専門の中国人観光ガイドも数人いるほどだ。
中国側の川岸には、華やかな装飾の観光船が並ぶ。売り物は、対岸ぎりぎりまで船を寄せる北朝鮮観光だ。
鴨緑江は中朝両国の共同管理のため、両国の船が川面を自由に行き来できる。中型船なら1人18元(約300円)と手軽だ。ある船の若い乗務員は「北朝鮮の景色は何年経っても全く変わらない。平和だよ」と笑った。
国境都市なので、開放的だが、北朝鮮と接しているという特殊性から発展は遅れている。これらのことが、国際結婚の土壌になっているのかもしれない。

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方正県の2つの顔

日本に嫁ぐ女性が圧倒的に多いのは黒竜江省の州都ハルピン周辺地域だ。
東北の人たちについてはこんな評価がある。は貧しく育ったので、わずかなお金にも敏感。気が強い。マナーが悪い。粗野だが純朴で、日本について「金は稼ぎ放題」「日本には何でもある」「仕送りもできるし、都会に遊びにいける」「運転免許が取れる」と、日本に憧れる若い女性が多い。
しかし、北京や上海のような計算高さはなく、働き者で、日本に来ても評判がいいーそうだ。
黒竜江省の中でも「方正県」は特異な地域である。この場所を知っている人は限られているだろう。州都ハルビンからバスで3時間ほど行ったところにある。県は中国では市の下にある自治体で、小さな町に近い。
人口は23万人で、3000平方キロメートルある。環境汚染がないことが自慢だ。日本から伝えられた稲作の技術が広まり、おいしい米どころとしても知られている。
方正県には、中国側が建設した唯一の日本人の公墓がある。市の中心部から車で20分行った公園の中だ。終戦直後に旧満州から逃げてきた日本人が、ここを最終目的地とした。多くの人が収容所に入れられてから病や飢えで倒れ、帰国の夢を果たせずに亡くなった。また混乱の中で多くの子供が中国人にもらわれ、残留孤児になった。
「満州移民の村」(小林弘二著、筑摩書房)に具体的な記述がある。
方正県に隣接する伊漢通開拓団跡に収容された日本人8640人中、
ソ連兵に拉致460人
自ら脱走1200人
自決、病死2360人
中国人妻になったもの2300人
ハルピンに移動1200人
現地に残った1120人


現地に残った日本人は、終戦後、現地の人たちと対等に暮らしはじめる。共産党によってこの地域が開放された後は現地の人と同じように、約7反歩の農地の分配を受けたためだ。
文化大革命時には、日本人がこの墓を訪問することは許されなかったが、日中国交回復後は日本人にも開放された。開拓団を送り出した長野や岩手県の代表団が墓参に訪れている。方正県の外事弁公室(広報担当)の王偉新さんは、「日本の方がお参りに来るのは大歓迎です」と話した。

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