第2章 花嫁はどうして来るのか[2]
-
-->
-
第2章 花嫁はどうして来るのか[2]
仕事上の差別
中国は社会主義国だ。
最近はあまり歌われないが、私の妻の世代では学校に行くと「社会主義好」とか「学習雷峰」「地道戦」なんて歌を歌って一日が始まった。いや、歌わされた。
「社会主義好」は比較的歌いやすいので、私がカラオケで歌うと、今の人たちは「聞きたくない」と言う。中には耳をふさぐ人さえいる。みんな社会主義の矛盾が分かっているからだ。「好」と素直に言えないのだ。
それはいいとして、社会主義国だから男女平等だろうと考えるのは当然だ。
中国で共産党が実権を握ってから、陝西省の村で、初めて男女同工同酬(同一の労働には同一の報酬を与える)が実施された。これを受けて1954年、「男女同工同酬」が憲法に盛り込まれた。
しかしこの規定によって出産、育児に当たる女性は、解雇の対象となるケースも増えた。
「平等」は逆に男女の差を認めることになった。
「第2回中国女性の社会的地位調査」によると、2000年時点での男女収入格差は1990年より7ポイント拡大している。1999年の都市に住む在職女性の所得は男性の70・1%、男女の所得格差は90年に比べ7・4ポイント増に開いた。特に収入の低い職業での女性の収入は男性の6割に留まっていた。日本も男女格差があると言われるが、中国はもっとはっきりしていると言えそうだ。
選択肢が増えて悩む
中国では若い男性が女性より3千3百万人上回っており、男女の不均衡がさらに拡大する傾向にある。2009年12月27日付の中国紙・新京報が伝えた。
一人っ子政策により親が男児を好む傾向が強く、最近は超音波検査で出産前に性別が分かるため女の胎児の違法な中絶が横行。女性が極端に少ない地域では、若い女性や女児の誘拐が多発する深刻な事態となっている。
同紙によると、1980〜2000年生まれの男女では、現時点で男性が女性を3331万人上回ると推定され「(中国での)男女比の不均衡拡大はしばらく続く、世界でも未曾有の事態」だと言う。
一般的な出生比率だと、女性100に対して男性は103〜107とされるが、中国では2005年が女性100に対し、男性120・49、2008年には120・56に達し、男女不均衡が世界最大となった。
これで中国の女性はますます男性を選ぶようになるはずである。
選択肢が増えるはずの女性にも事情がある。2001年1月9日付の中国の夕刊紙、法制晩報によると、中国の女性団体などが8日公表した未婚男女を対象としたアンケートで、女性の41・2%が結婚できるかどうか心配しているとの結果が出た。男性で心配しているのは8・1%で、女性の割合は約5倍だった。
調査では、女性の40・1%が結婚相手を選ぶ際の要求水準が高いことを認めており、女性の方が結婚に不安を持つ割合が高い結果につながったとみられる。
回答者は200万人余りで、平均年齢は30・7歳だった。
これはどこの国でも同じようだ。つまり女性側に選択肢が増えると、むしろ結婚の機会を逃してしまいがちになる。
簡単に稼げるという神話
「神話」と言った方がいいんだろう。中国人の素朴な日本観のことだ。情報不足なのか、過大評価なのか分からないが、いずれにせよ実態からはかなりかけ離れている。
最近、中国人女性と結婚したばかりの野本秀夫さんは、東海地方で鉄工所を経営している。経済的には恵まれている方だ。本人は40歳、奥さんは26歳だそうだ。半年間ほど、結婚サポート業のホームページや関連の掲示板を研究した末、中国黒竜江省にお見合いに行き、帰国してからメールをやりとりし、結婚を決めた。
自宅の周囲には中国人女性は多くない。奥さんは突然日本語だけの生活に投げ込まれ、いらいらすることも多い。言葉が通じない誤解もよくあった。
「だからすれ違いが起きたら、私が大抵謝ることにしています」と野本さんは笑った。かなり気を遣っている様子が感じられた。それも野本さんの経済的余裕がなせる業だろう。
実は、中国の結婚紹介の業者が女性に「日本に行けば、1500万円くらい簡単に稼げる」とあり得ない夢物語を教え込むことが少なくない。
野本さんの奥さんも、そんなことを吹き込まれていたという。人件費の安い中国では、妊娠中にお手伝いさんを雇って家事をやってもらうこともあるが、日本では高くて無理だと知った奥さんは、失望したという。
近くの日本語学校に入学させたが、この学校に通う中国からの留学生たちからは、彼女は「格下に見られ、友人になってもらえなかった」(野本さん)と言う。
自分たちは毎日、睡眠時間を削って、厳しいアルバイト生活をしている。日本人の妻になれば、生活の不安はとりあえずない。嫉妬の入り交じった感情だろう。
年齢にこだわらない
これまで多くの日中夫婦に会ってきたが、中国の女性、男性に対する基準が厳しくないと感じることがある。年齢や相手の身体的状況に神経質にならない人がいるようだ。
横浜駅西口で会った夫婦はまさにそうだった。右足を引きずるように約束の場所に現れた西田哲夫さん(仮名)は、岩手県生まれで、大手メーカーで携帯関係の技術者をしている。
両親はやきもきしていたが、恋愛には縁がなかったし、仕事も忙しく考えたこともなかったが、四十三歳の時、脳出血に見舞われ、右半身が不自由になった。
それが契機になって結婚を考え始めた。「このままでは、一生結婚はできそうにない。まだ体力のあるうちに相手を探してみよう」
ネットで結婚紹介業を探した。その結果京都にある土井さんの会社を見つけ、直接出向いてみたところ、そこでパソコン電話を通じてお見合いを勧められた。
土井さんの奥さんを通訳役に計三人の中国人女性と出会った。
そのとき、二十九歳だった長春に住む今の奥さんと出会った。当時彼女はスポーツ選手で、五輪を目指すほど期待されていたが、「スポーツの面で、中国はとても暗く、見にくい面があることを知り、もうここに住みたくなくなっていた」と言う。
西田さんの障害を見ても別に驚かなかったという。「問題は性格です。西田さんは、とても思いやりのある人だった。障害は私が助けます」。どうも嘘ではなさそうだ。彼女たちの結婚観とどこか深く関係しているのではないだろうか。
今は神奈川県に転居し、アパートに二人暮らし。西田さんは「思い切って国際結婚を選んでよかった。将来は中国で住むことも考えています」と満足そうに語った。